以前からなんとなく左手を使おうとしていたがあまり長く続くことはなかった。具体的には左手で字を書く、箸を使う、歯を磨くなどがある。私は右利きなのでやはり左手での作業はぎこちないし効率が悪すぎる。そんな中、あえて左手を使おうとしているのには特に大した理由はない。もしかしたら右脳が~とか脳が活性化するとかあるのかもしれないが、それがあったところで実感するのは難しいだろうし、左手を使ったおかげでいい曲を作れるようになったという話を聞いたことが無い。ただ、脳が活性化するのは多少感じる部分があり、普段やってないことをするとやはり脳への刺激があるなと思う部分はある。それは慣れてないからそうなるだけで慣れてしまえばまた刺激の無い作業になってしまうのだが。
じゃあ、それでも何故左手を使うのか?になるが右手がなんらかの理由で使えなくなった場合への対処だとか楽器のキーボードやギターでも左手を使うから器用な方が強いかもねぐらいだ。とはいえ、私はそんなに積極的に楽器に触るわけでも無いし弾けるかと言われると弾けない部類だ。正直、左手を使える利点なんてどうでもよくてただの私の気まぐれにしかすぎない。
気まぐれで思い出したけど以前、私がこの人、気まぐれだなと思っている「くいなちゃん」と呼ばれる人物に「d-kamiさんは気まぐれすぎる」と言われたことがある。気まぐれなくいなちゃんに気まぐれと言われたらマイナスとマイナスの掛け算でプラス方向に行き案外普通なのかそれともマイナス同士の足し算で気まぐれさがさらに強くなるのかは気になるところだが、まぁ、くいなちゃんにそんなことを言わせるぐらいだから私はそうとうな気まぐれなのだろう。左手を使う話から気まぐれでこんな話を出すぐらいだし。
話を戻して左手を使う話だったが、利点を見いだせないまま続けるのは如何なものかと思う人もいるだろうが、そもそも今まで私が行ってきた趣味の開発や作曲に関して利点があったかと言われると疑問だ。作曲ができるようになる利点なんて思いつかないし自己満足で終わっている気がする。そんな感じで利点が思いつかない作業を続けるのが私であり気まぐれというものなのだろう。気まぐれが10年以上続くこともあるのは気まぐれなのかどうかは知らない。
この記事はただ自分が思いついた内容についてひたすら書いていただけだがそれだけで1000文字に達するし、内容もくだらなすぎるが文章を書く練習としては良かったのかもなと思った。意外と文章書ける。内容がどうとか構成がどうとかは気にしないものとする。高校物理の地面との摩擦はないものとするとか空気抵抗は考えないものとすると一緒(違います)
最後に気になった点としてこの記事の内容ではてなブログのAIタイトルアシスタントがどんな内容のタイトルを候補にしてくるかなのだが試しにやってみたところ以下の通りになった。
ですよね~って内容で納得したので今日も元気に仕事する。